「目からうろこ!」コーナーの紹介
このコーナーでは、yakateruが思い違いしていたこと、ふと気づいたことで大きく演奏が変わったことなどを書き綴っていく予定です。
なにか、皆さんの参考になれば幸いです。
なにか、皆さんの参考になれば幸いです。
仏教の教えには、自力と他力がある。
禅宗などは自力の教えで、空の理論を理解し体得するなど、厳しい悟りへの努力を行うことで悲願を叶えるのに対し、真宗などの他力の教えは、ともかく仏を信じれば救われるというものである。そして、「美の法門」の作者柳宗悦は、才があるものは自力を目指せばいいが、凡夫は他力で行くのがいいという。
美しい音楽を生み出すには、凡夫である私は、他力で行くことになる。つまり、自由に演奏できるようになるまで弾きこんでおけば、あとは、音楽の精霊に任せる、つまり他力で演奏すればいい。
また、この他力というのは、論理を考える左脳でなく、情動を司る右脳で弾くということでもある。
他力で演奏することで、静かな感動を聴く人に与えることができる。
つまり、才能がなくても、弾きこんでいくうちに美しい音楽を奏でることができる。柳宗悦が言うところの職人的美である。子供でも一生懸命に練習し、無心に演奏すれば聴いている人に感動を与える演奏ができる。
しかし、下手にそこに自力(考え)を入れる、つまりは、うまく弾いてやろうとか、自分のうまさを自慢してやろうなどという邪念を持ち込むと、とたんに他力の演奏ではなくなり、才能がない人間が奏でる自力の演奏になり、聞き苦しいこととなる。
ちなみに、持って生まれた才能とその才能を伸ばす能力を兼ね備えた真のギタリスト(音楽家)は、自力で演奏活動を行うことで、聴くものに感激を与えることができる。これは、他力で演奏することで受ける静かな感動ではなく、気持ちを大きく揺さぶる動的な感動である。